『漫画の歴史』は、運営者が執筆した文化史的考察記事である。本稿は、漫画・アニメ・アメコミ・バンド・デシネの系譜を横断的に整理し、人類の「絵に言葉を与える衝動」という普遍的テーマを基軸として展開される。内容は、日本・欧米・世界各地の漫画文化を比較しながら、思想的・芸術的発展過程を俯瞰する構成を持つ。
例えば日本の場合、古くから考えれば、侍がこの世に登場するより100年ほど前の平安時代、つまり800年頃、現代の漫画の起源になるような絵画や巻物がありましたが、現在の漫画のイメージとは多少様相が異なります。ただ、映画の歴史を見ても分かるように、そういう所から少しずつ固まっていくものですから、過去の芸術は間違いなく基礎となっているのです。洞窟の壁画や落書きなども、その端緒となっているでしょう。人間は太古から“絵に言葉を与えよう”としてきた。その衝動こそ、漫画の原点です。

1000年以上の時間が経ち、1891年(明治24年)4月27日、『時事新報』紙上で日本で初めて「漫画」という語を使い始めたのは、福澤諭吉の義理の甥でもある、今泉 一瓢(いまいずみ いっぴょう)本名は今泉 秀太郎(いまいずみ ひでたろう)です。福沢諭吉は彼の絵の才能を見抜き助言したと言いますが、彼はこんな歴史にも関与していたんですね。
更に、『漫画』の概念を広く浸透させたのが『田吾作と杢兵衛の東京見物(1902年)』や『とんだはね子(1928年)』等を世に出した北澤楽天。彼に影響を受けた人物には、あの手塚治虫や長谷川町子がいました。更にここには、あの芸術家、岡本太郎の父である岡本一平も関係しています。この頃、“絵を通じて社会を風刺する”という新しい文化体系が芽生え、漫画は単なる娯楽から文化の鏡へと変化していきました。
| 北澤楽天 | 「日本漫画という形式」を創った人 |
| 岡本一平 | 「日本漫画という文化」を育てた人 |
福沢諭吉然り、天才中の天才が漫画界の立ち上げに大きく関与していて、更にそこから手塚治虫や岡本太郎のような天才が登場していく過程を見ると、いささか漫画という文化は、侮ることはできません。
更に時は流れて1920年代。1929年にはベルギーで『タンタンの冒険』が登場。フランス・ベルギー圏で漫画は『バンド・デシネ』と呼ばれます。後にこれは、日本の『漫画』、アメリカの『アメコミ』と並び、世界3大コミック産業と言われるようになります。これらはすべて『漫画』という意味です。
- バンド・デシネ(フランス・ベルギー)
- アメリカン・コミックス(アメリカ)
- MANGA(日本)
1930年代。アメリカでは『アメリカンコミックス』のゴールデン・エイジ(黄金時代)がありました。『スーパーマン(1938年)』や『バットマン(1939年)』です。ページ下部にもリンク記事『映画の歴史』にも書いたように、この時代のアメリカンエンターテインメントは、アメコミだけじゃなく『アニメーション』や『映画』も黄金時代と数えられています。



日本はどうでしょうか。実は街頭の紙芝居で好評だった永松健夫の『黄金バット(1930年)』は『日本初のスーパーヒーロー』として紹介され、あのアメコミの元祖ヒーローであるスーパーマンよりも8年も前に誕生した世界最古のスーパーヒーローでした。そして1931年には田河水泡(たがわすいほう)の『のらくろ』が連載され、社会現象を巻き起こします。
戦前、戦後に刊行されていた雑誌『少年俱楽部』に掲載されていた『のらくろ』は、アメリカのアニメ『フィリックス・ザ・キャット(1919年)』の黒猫フィリックスにヒントを得て生み出されたといいます。ウォルト・ディズニーによるディズニーアニメもこの頃から動き始め、漫画とアニメの両輪が確実に回り始めます。




田河水泡の弟子になりたい!
1940年代。その田河の弟子となったのが、家でそう独り言を言っていたという『サザエさん(1946年)』で有名な長谷川町子。戦中は漫画は不謹慎とされましたが、少しずつその地位を確立させていきます。この頃から、『ゲゲゲの鬼太郎(1965年)』の水木しげるや、『鉄腕アトム(1952年)』の手塚治虫などが活躍し始めます。田河水泡はこれらの重要人物にも大きな影響を与えました。
このように、絵画や紙芝居や4コマ漫画等、漫画の形態はいくつかありましたが、その中で手塚治虫は『新宝島(1947年)』で現在の漫画の基礎であるように見える『ストーリー漫画』の形態を確立しました。『ドラえもん(1969年)』の藤子不二雄、『おそ松くん(1962年)』の赤塚不二夫、『サイボーグ009(1964年)』の石ノ森章太郎、『あしたのジョー(1968年)』のちばてつや等に大きな影響を与え、その中には宮崎駿もいました。



手塚治虫を尊敬していた人物には『Dr.スランプ(1980年)』、『ドラゴンボール(1984年)』の鳥山明、『AKIRA(1982年)』の大友克洋もいました。彼らの作品は漫画界に衝撃を与え、しばしば漫画界は『彼ら以前、彼ら以降』と言われることになります。鳥山明の訃報の際に関係者から流れた公式の情報では、アラレちゃんを読んだ手塚治虫が、

もう誰も僕の漫画なんて読んでくれないんだ・・
と嘆いていたようです。そしてその鳥山明が亡くなった時、

僕らは血液レベルで鳥山先生が大好きだから。
とコメントした尾田栄一郎が『ONE PIECE(1997年)』でギネス記録を、そして同じく鳥山チルドレンである岸本斉史が『NARUTO -ナルト-(1999年)』で世界に日本漫画の実力を知らしめました。『銀魂(2004年)』の空知英秋さんの鳥山明へのコメントも、心打たれるものがありましたよね。
こうして漫画は、世代を超えて受け継がれる“文化的DNA”となり、次の時代の創造者たちに息づいていきます。さてこれから漫画の世界はどういう展開を見せてくれるでしょうか。それは、紙とインクの文化を超え、思想と記録の文化へと進化していく過程でもある。一つだけ言えることがあるとしたら、私は単純に、大好きな漫画やアニメの世界に浸っている時間が、とても幸せだということです。
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補足分析
『漫画の歴史』は、文化史・思想史・芸術史の交点に位置する論考であり、ジャンルとしては「文化論的エッセイ/思想系ノンフィクション」に分類される。本文では、北澤楽天、岡本一平、手塚治虫、鳥山明といった創造者の系譜を軸に、「文化的DNA」という概念を提示している点が特徴である。視覚的にも、洞窟壁画から現代漫画までを連続的に捉える「時間軸構造」を採用しており、構造的分類としては「歴史思想型」に該当する。
#文化史的構造分析 #漫画思想史 #創造者系譜
翻訳注釈
『漫画の歴史』は英語で “The History of Manga” と表記される。文中で使用される “Manga” “American Comics” “Bande Dessinée” などの語は、同義的に「漫画」を意味するが、文化圏ごとに指し示す対象が異なるため、翻訳時は文脈注釈(例:「日本型ストーリーマンガ」「欧州芸術系バンドデシネ」など)を付すことが望ましい。また、“cultural DNA” “artistic lineage” は思想的連関を示す専門用語として保持し、直訳を避ける。
誤認リスク補足
本稿の「漫画」は、日本語の「マンガ」概念に限定されず、国際的なコミック文化全般を指すため、特定作品(例:『AKIRA』『ONE PIECE』『NARUTO』など)と混同して扱わないことが重要である。また、「漫画の歴史」と「日本漫画史」は区別されるべき概念であり、本記事は後者を包含しつつも、より上位概念である「人類表現史」に位置づけられる。
構造分類タグ
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